23 パプアニューギニアと多彩な民族ふれあいの旅

2011年2月17日 (木)

8日目 マダン~ポートモレスビーへ(帰国日)

旅も終りになりました。
朝4時半に起床。5時半に朝食を摂り空港へ
空港では手配会社が既にチケットを取りスーツケースのセキュリティー検査を済ませ、チェックインが終わっていて
我々を待ってくれていました。
着後は手ぶらでそのまま入場。段取りがいいです。

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7時20分発 お見送りのガイドさん達にバイバイ、機上の人に・・・。

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8時20分 
ポートモレスビー着 
国際線でチェックインを済ませ市内観光へ
出発は14時40分。
午前中は簡単な市内観光をしました。
ポートモレスビーはパプアニューギニアの首都
街並みはさすがに都市の顔しています。
車窓より
DIYのお店・トヨタの工場・スーパーです。

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国会議事堂を見学(写真撮影は禁止。

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ユニークな建造物で目を惹きます。
ハウスタンバラン様式を取り入れています
「ハウスタンバラン」とは「精霊の家」を意味し、村の中心に大聖堂の如く建てられている。
村の政治や集会、またイニシエーションを行う神聖場所です。

議事堂のエントランスの彫刻はまるでストリートボードの様で、セビックアート的かな?と思いました。
私はこれを見て今まで旅行中に見てきたパプアの民族、文化の集大成を見た感がしました。 素晴らしいです。、
まず19人の首長の顔が並び、下から牛、豚、亀、鳥、蝶、一番上に蛇が各種族と共にセビック川の流れに沿って掘られています。
議事堂は民族の言語が700語にも及ぶため為同時通訳の設備がありました。
109人の議員中女性は一人で、オーストラリア人だとか。

次にパプアニューギニア大学の中にある植物園に行きました。

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此処もセビックアートの建物が目を惹きますね。
園内ではこの固有の動物を見ることが出来ました。

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ココモ・オオギバト・カソワリ (=ヒクイドリ、世界最大の鳥)

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木登りカンガルー・極楽鳥♀・極楽鳥♂

その後高級住宅地のセントラル地区を走り、美しいサンゴ礁の見える丘でバスストップ。
水上生活を営むモツ族の家の眺めです。

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深くいり込んだフィヨルドは自然の漁港

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午前の観光が終りました
昼食は街の中華料理をいただき、大急ぎで空港へ。

14時40分出発 成田まで約6時間35分乗ります。
時差はマイナス1時間
帰りの機内食はパスタをチョイス。

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東京/成田へは20:15分着
近くのホテルに後泊します。

大阪/伊丹へは翌日。
我が家に着くまであと1日あります、

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以上「南海の楽園と多彩な民族に出会う パプアニューギニアふれあいの旅」を終わります。

長い間お付き合い戴きありがとうございました。

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2011年2月16日 (水)

7日目 マダンの観光3・ハーバークルーズ(動画あり)

マダン湾のハーバークルーズへ
3つの島へ上陸

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昨夜のスコール雨で少し水が濁っていました。が、日中はさすがに南国、暑いです。
先ずはマダン湾を巡りその後シア島へ上陸します。
水上タクシーが行き交います。・・・・

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コウモリが生息する。
パプアでは日中に活動します。
木の先の枝に群れて止まっているのがコウモリ。

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日本の企業は少ない。かって王子製紙の工場があったが現在は台湾に移っています。
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シーア島に上陸。
60人の一家(一家・一族)が暮らしています。
家はマダン地方は高床式です。

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ここでは日本軍の防空壕、機雷 、米軍の飛行機の残骸等がありました。

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ピグアイランドに上陸。 無人島
美しいサンゴ礁の海岸です
上陸してシュノーケリングを楽しみました。

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シュノーケリングは初めて体験しましたが、

7101p1010470_2ガイド兼インストラクターのジェイシーさんが手を取って導いてくれたので、安心して泳ぎ回りました。
手に持っているのは、大きなナマコ。食べられません。
巨大なテーブルサンゴは見ものでした。
クラウン アネモネ フィッシュ(クマノミ)も見れました。
かわいい!
 ディズニー「ニモ」で人気の熱帯魚です。

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水中深く手を伸ばし、動画撮影も出来たので大満足。
マングローブの影になってあまり光線が届かないのかな?
それとも深いのかしら?
色が碧くない。透明度が高くないですね。
昨夜のスコールのせいで海も少し濁っていましたから・・・

随分日焼けしたような気がします。

クランケット島に上陸。
バーベキューランチを戴きました。

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シェフはオーストラリア人、美味しいオージービーフ バーベキューをありがとう
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島を歩いて一周
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ホテルに帰り、自由タイムです。
ジェイシーさんをお供に、スーパーに行きました。
市民の足はトラックバスです。
荷台に乗っているのはお客、満員になったら出発します。

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海岸の露店を冷やかして歩きました。
焼き魚やバナナなど大体1~0、5キナです。

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パンの木の果実を1キナ(35円)で買い試食。
パンは蒸し焼きです。
パンの様でもありますがどちらかと言えばジャガイモに似ていました。
ほんのり甘い味です。

今日はマダン最後の夜。
夕食は何がいい?と聞かれて、
リクエストは日本食、マグロ丼です。マグロは獲れます
ガイドのヤヨイさんが腕を奮いました。
ホテルのスタッフでもあるヤヨイさんはダイビングのコーチです。
ワン リドンクサービスはレッドワイン

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明日は8日目 帰国日です
ポートモレスビーへ

6日目 マダンの観光2-シンシンダンス(動画あり)

マダンのマーケットです。
ハイランド地方と違って派手です。品物も沢山あってカラフル人々も活気がありました。
ファッショナブルなワンピースがはためいています。
男も女も子供も皆持っている「ビルム」が並んでいます。カラフルです。
リュウゼツランなどの繊維で造られていましたが、最近では化繊製品が多く色鮮やかなものが多いです

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ムームーの材料、料理用バナナ、タピオカ。
丸いのはサゴヤシのでんぷん。わらび粉に似ている。こねて餅にする

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マシンガンビーチです
昭和17年製の大砲。日本製の銃が見つかった処

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沿岸記念灯台と樹齢500年のガジュマル
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ハヤ村(ビルビル村)訪問

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ムームー料理と
ガラムート(一本の木をくり抜いた太鼓、仲間を呼ぶときに使う)。お祭りの打楽器にも使われます。
低音の深い音が響きます、

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村の人が高いヤシに登ってココナッツを取ってきてくれました。
皆で中のジュースを飲み、のどの渇きをうるおしました。
そのあとは実をタタキ割って中の内側の実をスライスして戴きました。
お醤油をつけて食べるとまるで烏賊の刺身のような食感と味がします。とても美味しい。

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そうこうしている間にシンシンダンスの始まりです。
ビジン語のシンシンは英語のsingシングに由来する
極楽鳥の羽をつけ草の葉を身にまとい、精一杯飾ります。
部族毎に踊りも衣装も異なり、祭りや儀式ではお互いに踊りを競い合います

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うたは赤ちゃんをあやす時の歌、コウモリの泣き声、家を新築する時の祝いの歌等です。
村人たちが作ってくれたムームーを戴きながら、見ました。
一緒に写真を写し、踊りながらバスへ、楽しいひと時でした。
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マダン・リゾートホテルの2日目の夕食は、中華料理でした。
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今日の観光は終わりました

明日は7日目
マダン湾のハーバークルーズ。

2011年2月15日 (火)

6日目 マダンの観光1ー戦蹟・小学校訪問

マダンはビスマーク湾に面した小さな半島にある。山々を背景に海には有人無人の島々が浮かんでおり、美しいサンゴ礁で知られるビーチリゾートの街です。
マダン州庁舎

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朝一番に、旧日本軍飛行場跡へと向かいました。
青年海外協力隊の伊藤さんの案内です。
昨夜は耳をつんざくような激しいスコールで、道はぬかるみ、バスは途中で立ち往生、ぬかるみの中を30分以上歩きました。

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やがて日本軍の戦闘機「呑龍」の残骸が・・・
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アメリカ軍の機体の一部もありました。このブッシュの中に無数の爆弾やクレーターの跡が残されており、激戦の跡を物語っています

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私たちの歩く道の草を刈ったりして案内してくれた子供たちです。ありがとう

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戦蹟の散策の後は、伊藤さんがボランティアを務めるバイタバク村の小学校を訪問しました。
冬休み中でしたが、教室を見たり、子供たちと折り紙を折ったりして交流しました。
学校は日本のODAによって建てられています。
学校は有料です

下は食堂。昼食中でした。パンなどを買って食べています

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4年生の教室です

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その後アムロンの丘へ。

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第二次世界大戦の時、日本軍の司令部が置かれ、連合軍を見張っていた。
アムロンの丘からマダン湾を一望しました

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大きな「旅人の木」

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丘を下るとマシンガンビーチがはるかに見えて来ました

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  ホテルに戻り昼食。
えび料理でした。

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私はえび特有の臭いが気になって一口も戴けませんでした。この国のえびは口に合いません。

午後はガイドのヤヨイさんとマダンのマーケットへ
ハヤ村で食べるムームーの食材を買いに・・・。

5日目 ゴロカ~マダンへ330キロ

ハイランド地方から太平洋ビスマルク海に面したマダンに向けてバスの旅。
ゴロがのホテルを8時出発。
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郵便局に立寄り、日本へクリスマスカードをポスティングしました。(今日は12月5日。2週間以内には着くでしょう。



P1070480 パプア・ニューギニアで唯一の劇場「ラウンラウン シアター」
1975年建築。
伝統的な草葺きの屋根がこの国の特徴です。
今日は日曜で休館日で入れませんでした。

街を出ると間もなく素晴らしい自然が広がって来ました。
この橋と道路は日本のODA援助で造られました。
労働者は地元の人なので思うように働かない、又材料が盗まれる等採算が取れなくなり途中でやめる企業も出たりして
何度も中断、以後は造られていないとガイドさんの話です。

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(余談ですが中国の援助で造られた道路が多いそうです。)
火山の地質は柔らかく舗装してもすぐに凸凹になって長持ちしないのです。その上、山岳地帯では、道路は発達しません。

物資の流通も航空機に頼っています。
従って地方の生活物資は貧しく益々都市部と地方の経済格差を招いています。

間もなくかって日本軍が行軍して越えて行った山脈も見えてきました。
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2時間ほど走り「カイナンツー」と言う街で休憩。
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この街はオーストラリア人による金の採掘で発展した街です。
カルチャーセンターでは民芸品の仮面アートの木彫りやビルム(手提げバッグ)を買いました。

3分の1の電力を供給しているヨンダムです。

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カッサム峠
強盗や追剥ガ出てくるので有名な場所。
そのためガードマンが2人同乗してくれます。

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峠を越えると風景が変わりパームヤシのプランテーションが広がります。
パームヤシの油も輸出しています。
標高も低くなり気温が高くなりました

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道中にレストランなどはありませんのでお昼は工場の敷地の木陰でピクニックランチでした

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午後青空市に寄りながら休憩をはさんで、なお走ります。
ブアイ(ビートルナッツ)(国民的嗜好品のガム)を売っていました。

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青空市もハイランド地方とはうって変わり、お店はヤシの葉蔭です。暑さをしのいでいました。

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夕方、バルク自然公園の散策です
映画ロビンソンクルーソーのロケーションが行われた処。
自然の池や密林を生かした公園です。
ゆったりとした時が流れるような気分にひたりました。
長いバスの移動で疲れた体が癒された感じです。

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何処からともなく子供が現れて、ターザンよろしくパフォーマンスをしたりヤシの木に登って実を投げてくれたり、暖かい歓迎を受けました。

さてここからは「マダン・リゾー」トまで20分です。
海に沿って走り、「マシンガン ビーチ」を過ぎてホテルに到着しました。
此処には3泊します。

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今日の夕食
スープ・えび・フルーツ(スイカ・パパイア・パイナップル・ライチ)

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明日は6日目マダンの観光です

2011年2月13日 (日)

4日目ゴロカ2 昼食は郷土食“ムームー”とマッドマンダンス(動画あり)

カマキリ村へ帰ると既にテーブルセッティングが出来ていました。
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埋めてあった土の中からほかほかのごちそうが出て来ました
皆で掘り出すのが楽しかったです

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食材は村の畠から調達、タピオカもタロイモも、シダの葉っぱやパンの木の葉も食べたのは初めてです。
生の時はきれいな色でしたが蒸すと色が変わり食欲は出ませんね。
恐る恐る一つまみ二つまみしました。
持ってきた塩・マヨネーズ・醤油をかけて戴きました。

つくり方はニュージランドのマリオ族のものと同じです。
最近、日本でもタジン鍋で作る蒸し調理がはやっていますね。

素朴な蒸し料理でした。
お祭りや儀式の時は村を挙げてつくります。
火をおこし、2時間もかけて作る食生活も大変ですね。
地上最後の 「楽園」とは言い難い。

村人たちの分も作りましたので皆んなも待っています。
シンシンの飾りをつけておしゃれをした女の子がこっちを見ています。
かわいいでしょう!

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食事の後は仮面をかぶったマッドマンショーを楽しみました。
フシェト族の昔から伝わる敵を退治する伝統的戦術を劇にしたダンスです。
頭にかぶっているマスクは土を練って自分で創作したもので、とても重い、10キロ位ある。踊るのは若者です。 

お話のあらすじ、
「侵入してきた敵が村に火をつけようとします。
それを見つけた村人が身体に泥を塗り、仮面のマスクをつけて亡霊に扮して敵を脅し、追い払います」
マッドマンのユーモラスな無言劇を動画でご覧下さい

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記念撮影の後で村を散策しました
密林の中の小部落へは、草はなぎ倒されて一応道らしくなっています。
木々の茂みをかき分けて進むと急に視界が開け、赤土の広場に出ました。

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原始的な草ぶきの家が並んでいます。P1070461_2
男と女に分かれて暮らしています。
今でも一夫多妻の習慣があります。
交わる時だけの家があります。

人口の男女別比率は女の方が圧倒的に多い。子供の数も多いそうです。

帰り道、藪の中に雄鶏と子豚を見つけました。
豚はとても価値があり、大切にされています。
結納金として送られ、豚が買えないと結婚は出来ません。

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左右はパンの木と蘭(ヘリコリア)が自生する森
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市内に戻りマッカーシー博物館へ。
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建物は「ハウスタンバラン」精霊の家です。
村の中心に大聖堂の如く建てられ村の会議やイニシエーション(儀式)等に使われてきた伝統的建造物。
マッカーシーは1980年オーストラリアからゴロカに派遣された統治者の名前に由来しています。
今は歴史博物館となっています(中は撮影禁止)

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一日の観光が終わりました。
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ロビーにはヘリコリアがふんだんに飾られて豪華です。
ヘリコリアには下に垂れ下がっている品種があり多彩です。
夕食(私がチョイスしたものです)
白ごはんがありました。
珍しくラムとビーフステーキ、他にアボガドサラダ、ポテト、温野菜、マシュルームスープ。等
ビーフは固く歯が立ちませんがラム肉はおいしい。
デザートは見るだけ。

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レストランの壁に飾ってありました。
大きなストリート ボードです。
生活や事件、部族の歴史、宗教等の物語りを細かく刻んであります。
文字文化のない時代からの工芸品です。
2メートルから30センチまで大小様々。
形はセビック流域の流れを表しています。
パプアのお土産に如何でしょう。


今日は朝と夕方断水がありました。
ゴロカはインフラが整備されていない。
料金の支払いはプリペイド式、なのだそうです。断水・停電は突然やってくる。

明日は5日め マダンへ

2011年2月12日 (土)

4日目 ゴロカの観光1

パプア・ニューギニアの中央部にある大山岳地帯をハイランド地方と言います。
山あいに点々と部族があり、標高1500mの高地で比較的涼しい。
1960年代にその気候に適したコヒー栽培が盛んになり、良質なコヒーの原産地として有名になりました。

ハイランド地方の中心の街、ゴロカには2泊します。
出発日ではないので朝ゆっくり出来ます。
町に一つしかない「バード オブ パラダイス ホテル」の庭を散策しました。

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庭の花。トーチジンジャー・テンドロリューム2種

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今日はアサロ渓谷に向かいフェシェト族の住むカマキリ村を訪問します。
途中でコヒーのプランテーションを見て歩きました。
戦後ネッスルが開発しました。

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青年が真っ赤に熟した豆を、一粒一粒手摘みをしていました。
収穫の終わった畠等で天日干しをします。
ブラジルのような大規模農場ではありませんが、気候風土に適した環境で生産された質の良いコーヒーはヨーロッパでも高い評価を得ています。
主にアラビカ種を生産していますが、20世紀にジャマイカからブルーマウンテン種が導入されました。
アラビカ種はカフェインが少なく酸性度が低いのでマイルドな味わいが好まれています。

再びバスに乗り専用マイクロバスにて30分。
フシエト族のカマキリ村に着きました。

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カマキリ村ではパプアニューギニアの伝統料理「ムームー」を村人と一緒につくって食べます。
「ムームー」は蒸し焼き料理の事で、地面に穴を掘り、熱く焼いた石を入れその上にバナナの葉を敷いて鶏肉や野菜、芋を入れて地熱で蒸し焼きにする料理。
材料は白・黄色のタピオカ・カウカウ(サツマイモ)・タロイモ・パンの木の葉・シダの葉・バナナ・トウモロコシ・等。
右の写真に赤いマリタがありますが、色付けの為で食しないようです。

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出来上がるまで2時間掛かります。
その間再びゴロカ市内に戻り、コヒー工場の見学と大バザールの見学をしました

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工場は焙煎と袋詰めだけの、小規模な設備でした。
パプア・ヒューギニアのコヒーの輸出は全輸出の10%を占めています。

焙煎したてのオーガニックコーヒーを試飲しました。酸味のないくせのないお味でした。
右端の写真はブルーマウンテンをパッケージしたものです。あの有名な値段の高いブルマンがパプアで生産されていることは初耳。
お土産に買い求めました。

ゴロカ一番の大きい青空市場(常設)はとても賑やか

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野菜、フルーツ、卵、ビルム、それぞれの村でとれた農産物
、豚、鶏等も持ち寄って成り立っています。
国内には生造業が皆無に近く、自給時足生活者が多い。
都市部と地方の経済格差は大きいです。

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上左はパンの木の葉・中央はキノコ・右は青菜

ここは一番危険な処だからと、小銭とカメラだけを持って、私たち11人は屈強なガードマン4人に囲まれて市場見物しました。
買い物などは出来ませんでした。

市場見物の後カマキリ村に戻り蒸しあがった「ムームー」を御馳走になりました。

午後はカミキリ村のマッドマンダンス。

3日目 午後ゴロカに向かう

朝マウントハーゲンのホテルを出発し東へ、クマン族のミンディマ村で骸骨ダンスを見たのち、村の教会を訪れました。
屋根と柱は新素材のようですが、壁は草を編んだような”よしず風”のもので囲われて、土間には椅子もありません。
あり合わせのバケツに草花が飾ってありました。
祭壇だけの簡素なものでした。
パプア・ニューギニアはイギリスやオーストラリアの入植によりほとんどがキリスト教に改宗しました。
教会は寄付により建てられている様です。

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クンディアワの街で簡単な昼食を取りました。
クラブサンドイッチでした。

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更に悪路をゴロカに向けて走ります。
青空トイレを兼ねて、写真ストップ。
2時間毎に15~20分ドライバーのための休憩でもあります。
安全運転のためにきちんと守られています。
途中ダウロ峠でゴロカの街をはるかに望む。

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峠で出会った村の若いママと子供たち。
赤ちゃんが「ビルム」にくるまれています。
「ビルム」はパプアニューギニアの国民的カバン。
名前の由来はズバリ「子宮」とか。
女性の手編みによって大きさも模様も使い方も様々、一点物の良いお土産に・・・。
何処へ行っても売られています。20キナ~70キナ

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でこぼこ道を180キロ、夕方ゴロカのホテルへ着きました。
ホテルはにぎやかなメイン道路に面した2~3階建て。
その名は「バード オブ パラダイス」 素晴らしい名前ですね。

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ホテルの前はスーパーもありますが、一人で買い物に行くことは厳禁。
スーパーにはガードマンが立っていますが、サポーターと一緒に行きました。
旅行者目当ての強盗、ひったくりは日常的、囲まれたら先ず逃げられないそうです。

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スーパーには加工食品、嗜好品は輸入物しかなく現地の人には高いです。
経済は貨幣と自給自足の2重経済構造が解消されていません。
地産の食材は青空市場にあるので、魅力はありません。
水を買って帰りました。

夕食はビュフェスタイルでした。
「この料理は私が作ったよ、私も一緒に映して!」と
ポーズ。 
真っ黒で申し訳ない!フラッシュを使えば良かったかな。
でもカメラをのぞいて喜んでもらえました。

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3日目も移動が長く、お疲れ様でした
今日から2連泊。明日はゴロカの観光です。

2011年2月11日 (金)

3日目 マウントハーゲン出発 ミンディマ村の「骸骨ダンス」動画あり

昨夜泊ったハイランドホテルの壁にあったアートです。アフリカやポリネシア等に見られる仮面文化に繋がっていますね。 シンシンを描いたのでしょうか。

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早朝、ホテルの近くを散歩して見つけた蘭の花です
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今日はマウントハーゲンを出発ゴロカへ向かいます。
小さなマイクロバスに、私たち11人と添乗員1人、現地ガイド1人、サポート(護衛に)2人、総勢15人を乗せて、ハイウエイを約180キロ走ります。
追剥に出会った時のため、いつも2人同乗します。
P1070519 道路事情が悪いのでマイクロバスしかありません。
そのためスーツケースは別のワゴンに乗せて、後ろから付いてきます。

車窓からカウカウ畑(サツマイモ)・コーヒー豆の天日干し・紅茶の農園等が見られました

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途中で道端の小さな市に立ち寄り、ミカンやパパイヤ、蒸しピーナッツ等を仕入れました。
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料理用のバナナやマリタを売っていました。

P1070259_3 料理用マリタ・珍しい食材です。
ムームーに使ったり、トマトソースの色付けに使うそうです。

ブアイを噛んでいる女性
人々に愛される嗜好品です。

P1070263ヤシの実の一種で石灰などと一緒に噛むと口が真っ赤になる。
気分がよくなり麻薬のような刺激を受けるそうです。

ブアイは「ビートルナッツ」ともいう。



その後クマン族のミンディマ村を訪問。
この村では昔から実際に行われて来た悪霊払いを劇に再現した「骸骨ダンス」を見ました。
その後、村を案内してもらって、一緒に記念撮影をしたりしました。

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骸骨ダンスの動画です。
悪霊に襲われた子供を骸骨に扮して退治、子供を救うという
昔から行ってきた儀式を劇化した踊りです。


次は3日目の午後です

2日目 マウントハーゲン・タプカ村

タプカ村は6~700人の集落です。主に農作物を売って自給自足の生活。私たちとの交流も観光収入の一つです。何処からともなくやってきた村の長老、シンシンの姿で迎えてくれました。 シンシンとは伝統的儀式の一つで極楽鳥の飾りを身につけて行うパフォーマンス。
部族によって歌や踊りなどそれぞれ異なる特色を持っています。
村を散策しました

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村は熱帯植物に囲まれた中にあります。
ジャングルはもっと木々の茂った密林と言うイメージがありましたが、雑草は刈り取られ、きれいに整備?されていて気持ちよく散策出来ました。
熱帯地独特の動植物は希少種が多いですが、特に植物は9000種ほどが自生しています。
シダ植物や蘭科などは世界的に原産地として知られ3000種の新種の蘭が発見されています。

自生の蘭、シダ類です。川はセビック川の支流です。ウナギ、わになどいます

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長老の息子さんの家を見せて戴きました。7

草で囲った 観光客用のトイレが用意されていました。
ホテルに帰るまで我慢するか???ですね。
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村の親子に見送られてホテルに戻りました。
小さい子供は裸ん坊が普通です。
パプア(=縮れ毛の意)頭ですね。

ホテルでの夕食
豚や鳥の丸焼、握り鮨、焼き飯。
フルーツはマンゴー、パパイア、シュガーフルーツ等、盛り沢山でした。

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明日は3日目 東へ。ハイウエイを走りゴロカへ向かいます。

2日目 ポートモレスビー⇒マウントハーゲン

早朝5:00ポートモレスビー「ジャクソン空港」に到着、
P1070129 ジャクソン空港は日本のODAにより作られた。
空港で3000円を両替しました、1キナは33.5円
ペットボトルの水が2キナ
小ビールが6キナ~10キナ

P1070132 近くのホテルで朝食の為、ホテルの送迎バスに乗りました。
なんと日本の中古車です。
社名も消さずに、日本語をアートとして利用?

朝食後は再び空港へ戻り、国内線でハイランド地方のマウントハーゲンまで1時間のフライト

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空港にはターンテーブルが3つ、私たちのスーツケースは車で運ばれていました。
小さな空港です。子供たちが大勢飛行機を見に集まっていました。

マウントハーゲンはニューギニア島中東部、標高4000mの山々に囲まれた、高地地方の大都市。西ハイランド州の行政の中心地でコーヒーの集散地。ハイランド国道500kmが東岸に通じていますが航空路が主要都市と連絡しています。
人口4万人、標高1700m・しのぎやすい気候です。

早速、専用車で郊外のタプカ村訪問へ、
車窓の風景。 青空市・洗濯物・マーケット

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サトウキビを売っています・民家も見えて・ポインセチアかな?

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タプカ村へは草木をかき分け歩いて行きます。

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バナナ・コーヒー豆・シュガーフルーツなどの木も自生。5
民家(住んでいます)。

途中で出会った一家

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タプカ村観光は次のページへ

2011年2月10日 (木)

1日目 伊丹空港⇒羽田空港⇒成田空港発

パプアニューギニアへの直行便は成田から出ているので、関西からは出発便の都合で国内の移動で丸1日を費やしました。
15:45 大阪/伊丹空港より日本航空にて東京/
羽田へ
      リムジンバスにて羽田空港へ

17:35 羽田着
21:25 東京/成田発 ニューギニア航空直行便にてポートモレスビーヘ
      所要時間6・30分  時差1時間
 翌朝 05:00  ポートモレスビー着
ニューギニア航空の機内食(ビジネスクラス)

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ロールパン・
前菜はポテトサラダのハムロール・エビ・スモークサーモン
メインは和食を選びました。 ウナギのかば焼き・野菜炒めでした。パンの追加はリンゴのデニシュ
デザートはチョコレートムース・コーヒー。
最近の機内食は美味しく出来ています。
食事を終えると5時間以内に到着となり比較的短いフライトです。
パプアニューギニアへは旅行代金は本来安く行けるのですが、最近募集人員も催行条件ぎりぎりで集まらないせいか、料金は高め設定です。
しかもビジネスクラス設定で付加価値をつけているので、お得感はありません。
今回は11人でなんとか出発出来ました。

旅行のスケジュール
1日目 国内移動 東京/成田空港へ
2日目 ポートモレスビー到着
     ⇒午後マウントハーゲンへ 1時間のフライト、マウントハーゲン・タプカ村訪問
3日目 ハイランド地方ゴロカへ 専用バスにて180キロ走り途中クマン族ミンディマ村を訪れ「骸骨ダンス」を見ます。
4日目 午前中ゴロカ、アサロ渓谷へフシェト族のカマキリ村 訪問。「マットマンダンス」や石焼料理「ムームー」を戴き交流します。
5日目 マダンへ移動320キロ走ります。
車窓風景、写真ストップしながら途中バルク自然公園に立ち寄り、ロビンソンクルーソーの世界を歩きます。
6日目 午前中、マダンの観光・
     旧日本軍飛行工場跡、戦跡へ。
     バイタバクの小学校訪問。⇒アムロンの丘⇒マーケット。
     午後、ビルビル村訪問「シンシンダンス」見学
7日目 マダン湾のハーバークルーズ
     サンゴ礁の水中散歩など
8日目  帰国日
      朝ポートモレスビーへ
      着後 市内観光

      午後ニューギニア航空直行便にて東京/成田空港へ
      20時15分到着
      空港近くのホテルへ後泊となります。
9日目  成田より大阪/伊丹へ(国内移動)
常夏の国から真冬の日本へ帰りました。
以上がこの旅の日程でした

明日からいよいよ観光です
2日目ポートモレスビー⇒マウントハーゲンへ  
              
     

パプア・ニューギニアはこんな国

パプア・ニューギニアはこんな国

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首都 ポートモレスビー
人口 673万人
面積 46.2万K㎡ (日本の約1.25倍) 約600の島々から成る

パプアニューギニアの歴史と名前の由来
1526年 ポルトガル人が上陸パプア島と名付けました。
      パプアはマレー語で「縮れ毛の人」 という意味
1546年スペイン人が上陸「ニュー・ギニア」と名付けた。 
      容貌がアフリカのギニア人に似ているからと言う
 オラン・ダドイツ・オーストラリア等に植民地支配されてきましたが第2次世界大戦後オーストラリアから独立。
1975年 正式にパプア・ニューギニア独立国となった
                                          主要言語は英語(公用語) ビジン語、モツ語 他多数、
高地族には多数の部族があり750種の土着言語が使われています。
その為国会ではイヤホンによる同時通訳のシステムが導入されています。
宗教はキリスト教が大多数ですが、伝統信仰の先祖崇拝も残っています。
険しい山岳地形、熱帯性の気候、資源もなく、ヨーロッパ人による内陸部の探索は20世紀になってから、そのため「最後の秘境」「地上最後の楽園」と言はれています。

この旅では多彩な民族に出会い、多様な文化にふれあう事を楽しみます。

                  

2011年2月 9日 (水)

パプア・ニューギニアに行きました

久し振りに旅ブログを書いています。
20010・12・1日より9日間の旅です。105

パプア・ニューギニアって?どこ?
よく聞かれます。
ニューギニア島は南西太平洋の島国で世界で2番目に大きい島でオーストラリアの北にあります。
ちなみに一番大きい島はグリーンランド。
ニューギニア島の東半分がパプアニューギニアです。(東側はインドネシア)

どうしてそんな国へ行ったの?
とも聞かれます。
私は「ジャワ島とかソロモン諸島あたりは第2次大戦で日本軍が米軍との激戦の地であった」と、父の戦争体験話(父は戦地に出征し、生還)で、その地名を聞いた事がありましたので、
それで、なんとなく父と繋がっているような思いで行ってみたいとの思いもありました。
「さらばラバウルよ・・・」で始まる歌と映画で有名なラバウルには日本軍の基地があり、パプアニューギニアには13万人の日本人戦死者が眠っています。
私はまだ子供だったのであまり覚えてませんが

戦後、映画にもなってその悲劇は国民の涙、涙であったと言います。
そのメモリアルツアー・戦蹟にも訪れて見たいそんな動機からです。

これからパプアをご紹介して行きます。

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