疎水博物館で小休止の後南禅寺に向かいました。
南禅寺の三門は禅宗式の形式、日本三大門の一つとして有名です。
空門・無相門・無願門の意味で仏教修行の三解脱を表しているといはれています。
修復が終わって久しぶりに、三門の楼上、五鳳楼に登りました、「絶景かな!」
歌舞伎「楼門五三桐」の中で石川五右衛門が言ったとか、その話は有名です。
京都市内を流れる琵琶湖疎水・冷泉通り付近
09年4月7日桜ウォーク
例年満開の日に出会うことが出来るかヤキモキするのですが、今年は寒波が来たおかげでいつもより桜の開花が長引いて、絶好の花見ウォーク日和となりました。
コース
京阪三条駅→琵琶湖疎水沿い→疎水記念館→南禅寺→地下鉄山科駅 まで約8キロ
今日は120数名の参加でした。
疎水記念館までをスライドショーにしました。
少しは、お花見気分になれますかしら
琵琶湖疎水沿いは、花見の人、人、人です。丁度京大の入学式と重なって、さくら咲くのもと、新学生さんたち親子連れでいっそう華やいでいました。疎水の船下りは4時間待ちとか、京のさくら見物はすごいですね。
2月26日から15日間チュニジアに行きました。
北アフリカにある日本より小さな国を15日間掛けてゆっくり回って来ました。
地中海地方は美しい景色とローマ遺跡など世界遺産も多く、楽しみにしていたのに。
その想い出がちょっとしたミスで1500枚の写真全部消えました。![]()
そのいきさつをチョット。
「帰りのトルコにてトランジットの際、時間があったので夕食の為外のレストランへ行ったのです。
その際トルコ音楽のライブを動画で撮るためにメモリーも少なくなっていたので、新しいメモリーを入れ替えて撮りました。
そして再び元のメモリーを入れたところ、ファイルが上書きされて、消えた・・・。」
ほんとにショック。![]()
私は旅行ではビデオ撮りが余り好きではありません。
生の景色を見る時間が少なくなるからです。
それで動画用にもう一つソニーのデジカメを専用にしているのですが、
もうスーツケースに入れてしまっていたために余り深く考えず、そんな事をやってしまった。
良く考えればさもありなん!ですね。
私はそのショックから立ち直れなくてカメラからもblogからも遠ざかっていいたのです。
ところが思いがけなく、この旅で初めてご一緒した方から証拠写真でよければといって、CDに落として送っていただいたのです。
こんな嬉しい事はありません。
思い出が形になって残りました。感謝です。
そして今日久々にカメラを持ちました。
裏の桜もちょうど満開の花盛り。今日は一段ときれいに見えます。
メモ
初期化については注意書きが「YES/NO」と聞いてくれますが、メモリースティックのフォルダやファイルが一杯になった時の置き換えについては、デジカメのマニュアルに小さく載っているだけです。
ご注意くださいませ。
マニラホテル
リサール公園周辺の散策
。
この公園の主人公、ホセ・リサールの像です。地下に埋葬されています。」
フィリピン独立の英雄リサールはここで銃殺されました。
リサール記念像
インストラムス「壁の中」という意味。
スペイン統治時代、1571年から150年かかって造った城壁。
石造りの城塞都市を歩きます。
マニラ大聖堂
道路側からのショットは尖塔と丸いドームを持っているのが良くわかります。
カトリック大司教の本拠があります
サン・アグスチン教会(世界遺産)
フィリピンの石造り教会としては最古のもの。1606年に完成。中はステンドグラスや水晶のシャンデリアが美しい。
丁度結婚式が取り行はれていましたので入る事が出来ませんでした。
隣接の古い修道院は博物館には家具や宝物があり、ファサードに司教のミイラのレプリカが祭られていました。
サンチャゴ要塞(世遺)
スペイン統治時代、イントラムロス内に立てられた石造りの要塞。
カレッサも通る要塞までのプロムナードを歩きます
この中はアメリカやイギリス軍本部として使われた事があります。
そして太平洋戦争の時には、日本の憲兵隊の本部にも使用されました
敷地の奥にある収容所。
戦時中は、日本軍がアメリカ人やフィリピン人をこの地下牢に投獄、多くの人が命を落としたといはれています
犠牲者をお祭りしています。
これで9日間のフィリピンの旅を終えます。
棚田の美しさに感激した旅でした。
マニラ湾を走り、ニノイ・アキノ国際空港へ。
タイ国際航空の機内食。
さようなら
ではまた次の旅まで
バナウエ、ホテル。早朝5時半ごろ。
ホテルのレストランから見えます。
棚田の水が光っています。
山深いイフガオ州に世界遺産に登録された、ライステラス(棚田、階段状の水田の事)があります。
その美しい、輝く景色は天国への階段と呼ばれています。
食糧省推薦のバナウエ一番のビューポイントをもう一度見に行きました。
景色は2月の植え付けの時期と9月の収穫時期によって変わります。
イフガオは高原地帯で寒い為、1期作です。
最近保存が危ぶまれているらしい。
ポイタン村です。
伝統的な高床式建築、これは米など収穫物の保存倉庫のようです。
軒下には狩の獲物の頭蓋骨や骨が飾ってある、昔は首狩族は、人の頭蓋骨を飾ったとか?
稲は刈り取って束ねて干し、保存する。
ちょっとしたオブジェの様。
マニラまで350㌔走ります。 では明日午前中はマニラ最後の観光です。
途中でキアンカンにて山下将軍降伏した所が記念館になっている。
今日はたまたま日本の労働厚生省と遺骨収集団が来比して飾りつけがなされていました。
部屋には降伏当時の写真など展示されていました.降伏の調印なども。
ラムット橋
金曜ミサの為大渋滞にあいましたが、マニラホテルに6時到着しました。
今夜は最後のパーテー、高級ホテルのシャンパンルームで、フルコースを戴きました。
終わりよければすべてよし。
(トイレの事も、寒かった事も、バスタブが無かった事も、・・・・。)
ホテルのロビー・シャンパンルーム
マンゴーサラダ。オニオンスープ。魚介のサフランとマスカルボーネ寄せ。
シャンペンシャーベット。ヘレ肉とラプラプ魚の温野菜添え、デザートはマンゴークレープ イン クリーム、コヒー
早朝、ホテルの廻りを散歩しました。高原らしい木々の間を抜けて坂道を少し登ると、最高地点にある小さな教会に出ました。
アガパンサス、アジサイ、カーラーなども咲いていました。
イフガオ族の今の住居でしょうか。洗濯物が見えますね。

バスで山々の間を縫うように走ると所々に棚田も見えます。
山間に雲が下りて幻想的な景色です。小さく棚田の村が見えますか?

ボントック博物館です。
山岳民族の生活や歴史を展示しています。
少数民族の資料や生活を展示しています。
イフガオ族の祖先はビガンとブガン「アダムとイヴ」
天界からやってきた二人はイフガオに住み着きました。イフガオとは「地上の人」という意味だそうです。
やがて二人はパイナップルや椰子やとうもろこし等で布を織り、ふんどしと腰まきを身に纏うようになりました。ビガンは石を組んで棚田を作りました、そしてブガンの乳がこぼれ最初の米が出来ました。
こうして棚田の稲作は始まったのです。
家々で稲作の神として祭られています。
真ん中の男性像は死者で椅子に座らされています、復活を信じてこのような形で、土葬するのです。
隣接する小・中学校の授業を参観しました。
英語は母国語として、全科目英語での授業です。
後ろを向いて挨拶してくれました。
先生は美人です。
昼食は市内の有名ホテル「パインズ・チキネット&イン」内のイフガオ料理バーべキューでした。
野外のテーブルはイフガオ族の小屋風。
テーブルには一人づつココナッツ椰子がデンと丸ごと。
いよいよ山岳地帯へ向かいます、11号線です。
1903年日本人5000人が植民地事業で道路工事に従事しましたが難工事で犠牲者が多く出て、1年でミンダナオ島のマニラの麻農園に移されました。
道は狭く畑、山、谷と景色は変わります。
所々に棚田も見えます。
イチゴ畑で休憩、イチゴワインの試飲をしました。
薄甘い感じで、味がきりっとしません、ジュースか、酒か判らんわ![]()
「山下道路」に建つ「戦没兵士の慰霊塔」
バギオは1945年から終戦まで、山下泰二大尉師団とアメリカ軍が戦った激戦の地です。
バギオまで21キロ、西海岸まで100㌔に及びます。日本軍はこのジャングルの小道をバギオの軍隊に物資の輸送に使った、敗戦が濃くなった時、兵士をこの道を使って逃したといいます。
山下大尉は捕虜となり、マニラに送られ処刑されました。
現地ガイドさんの話ですが、戦争を良く知らない私が聞いたので聞き間違っているかもしれません。
この小道は今は無くダムに繋がっています。
早朝、朝食前にホテル近くのバーンハム公園を散策しました。
イギリスの統治時代に整備された公園です。
緑の木々に囲まれ、人工池もある広い公園です。
何処も健康ブームです。
屋根の無い屋台です。
未だ熟してない、青いマンゴーです。皮を剥き、真ん中の種を取って、そこに甘いソース等をかけて食べる。
天秤棒で担いで、出勤前のサラリーマンや散歩中の人に売っていました。
きっと豆腐売りだと思ったったので缶の蓋を取って見せてもらうと、あたり
です。
暖かい絹ごし豆腐のようなものでした。
持ち前の好奇心で、買うことに
1カップ10ペソ(20円)
お好みでトッピングを選びます。タピオカと黒蜜で、戴きました。美味しかったです。
丁度通りかかった若いお二人さんは英語が出来たので、「豆腐」をネタに会話が弾みました。
フィリピンでは「タフ?タホ?」というらしい。セーム(同じ)ねといって笑いました。
当然日本ではソイソースとグリーンオニオン(葱)で食べるという事も・・・お話しました。
ちょっとした「英語でしゃべらないと」でした。
楽しいですね。
朝食後はバギオ市内の観光へ
続きを読むをクリックしてね。戻るで戻ります。
途中ナハバカンから東シナ海を望みました。
ホンとはトイレとスモーキングタイムです。
ここでフィリピンのトイレ事情について触れておきましょう。
まず基本的に戸は無いか、鍵がかかりません。便器は水洗ですが、便座はありません。大抵壊れていて、押しても引いても水は出ません。当然ペーパーもありません。
有料で、小は2ペソ、大は5ペソ(10円)です。自己申告かな?
箱があるだけで番人はいません。
フィリピン人は水でお尻を洗い流す習慣なので、ドラム缶に水と柄杓が用意されていてその水を持って入るのだそうです。その事を私が知ったのは、日本に帰ってからでした。
とにかく私達は旅行中、工夫してトイレを使いました。
トイレには泣かされましたね。
現地ガイドは男性なので、配慮が足りませんね![]()
次はサンタマリアの街の世界遺産の大聖堂、 ( 続きを読むをクリックしてくださいネ。 戻るで戻ります)
メナ・クリソロゴ通り
石畳の続く道の両側に、18~19世紀に造られた建物が並ぶ。
スペインのコロニアル都市、石造りの建物が並ぶこの通りは世界遺産、歴史地区に指定されている。
古くからスベイン・中国・日本・メキシコなどと貿易が盛んな国際都市として開けて、街は色々な雰囲気を持っています。
車は通れないので、カレッサか徒歩で散策する。
現在はアンティークショップや土産物店が並んでいるが、雰囲気は18世紀のたたずまいのままです。
1階は石造り2階はカピス貝の格子がはめ込んであり、夜はやさしい光が漏れて美しい。
屋根は落ち、壁は剥げていますが、トタンや波板で当座をしのいでいる程度です。何の補修もされていない。
このままで、世界遺産が保存されるのかと危ぶまれます。
次はメナ・クリソロゴ通りの写真集
マニラの北400㌔イロコス・スル州の州都
スペイン統治以前から国際港として栄えた。
スペイン・中国・メキシコ等の影響が見られる古都として世界遺産になっています。
ビガンの中心ブルゴス広場前にある、アンテークなホテル、ビガン・プラザ・ホテルに泊まりました。
元ビガンの州知事チャベスさんの所有だそうです。
屋根はやしの葉?でフィリピン特有の草葺です。ビガン独特の石造りの建物に、楢の木をふんだんに使って、温かみがあります。
ビガン旧市街の世界遺産通り・クリソロゴ通りを観光馬車「カレッサ」にのってビガン旧市街の観光に出発しました。
ビガンの名門、クリソロゴ家の名が色々な処に名前が付けられています
次はビガン郊外へ出掛けましたました
途中こんな景色に出会いました。
闘鶏用の鶏を飼っています。
フィリピンは闘鶏が盛んなようです。
奇跡の木「マランガイ又はマロンガイ」
あちこち人家の近くに自生している。雑木です。
この細かい葉っぱをちぎってスープにします。
ポリフェノールがとても多く、癌や成人病の特効薬として、CO2の吸収率も一般植物の20倍と多く環境植物として、ブームになっているそうです。
そのうち、どこかの国が、栽培に乗り出して、また別の意味で環境破壊が起こるかもしれませんね。(
)
マロンガイのスープを次の日にビガンのホテルで特別に作って戴きました。
お味はモロヘイヤのスープのとろみをなくしたようなものでした。
美味しかったですが、フィリピン独特の塩味が良く効いて、かえって高血圧にはどうかな![]()
![]()
次は、途中バダックの市場に立ち寄りました
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